幼いころから、自分が人と違っている、ということをナオジはわかっていた。 頬の色は父のものや母のものとも違っていたし、顔立ちも母方の祖母のものとも違っていた。 3年後に生まれた妹は、父方の祖母そっくりだと、妹を見る人は口を揃えたように言った。 伯爵位の家の者だから、とか、海軍将校の家の子供だから、というようなことは、その違っているという事実の免罪符にはならなかった。 むしろ、穿鑿されるべきことであり、隠そうとすればするほど、その穿鑿の目や手は伸びてくることを、一番最初の学校に行く前にナオジは知った。 石月家の長男として、伯爵である父とともに出かけたときすでに、最初のそういった棘はあった。 「はじめまして」 と伸ばされる、手の冷たさのみを、ナオジは覚えている。 「こんにちわ」 と、自分が頭を下げたときの、相手の笑みの温かみをナオジは感じなかった。 また、そういった席は、父にばかりついているわけではない。 同年代のこどもだけで過ごすときもあったが、こどもはもっと容赦ない。 父親や、母親がかくれて口にすることをそのまま、なんの考えもなくナオジに伝える。 今にして思えば、なんの考えもなく伝えられて、良かったとはおもうのだが、そのときは頭が真っ白にあり、なにも考えられなくなった。 ただ、出ていく時に母親が、自分に言い聞かせた、 『何があっても、何を言われても、直司は顔を上げていなさい。正面から言う人を見つめていなさい』 この言葉だけを頼りに、ナオジは時間を過ごした。 母は、ナオジがどんなめにあうか、確実にわかっていたのだろう。 礼儀正しく挨拶しなさい、とか、通常親が初めて他人に会う時に口にするようなことは、全く言わなかった。 「なにがあっても、なにを言われても、直司は悪くないのだから、謝ることも申し訳ないとおもうこともないの」 いい? と、母は、ナオジのなかに染みこむのを待つように、ゆっくりと何度も繰り返した。 「直司は……」 母は一つ呼吸を置いた。 「男の子としてお父様についていくのですから、何があっても、何を言われても、外で泣いてはいけません」 いつもは朗らかに笑ってばかりの母が、痛そうな泣きそうな顔をした。 「はい、お母様」 それだけしか、ナオジには言えなかった。 「泣くのは、家に戻ってきてからです」 口で返事が出来ずに、ナオジはただ肯いた。 いつもはそんな横着なことをすれば、"どの口が返事したの?"と、言い直しを強要されるのに、このとき母は、なにも言われなかった。 「いいですね────」 念押しして、母はナオジのタイを結んだ。 肯くことで意を伝えることしか、ナオジにはできなかった。 「どうしたのだ? ナオジ」 すべてが完全に思われている、ルーイにも納得できない自分のて、というのがあるらしい。 この結び方ができるか?、とキルシュの貴族のパーティに父親の名代として出かけることになったルードヴィッヒが聞いてきたのは、出かける30分前になってのことだった。 公式のパーティに出かける時にするタイの結び方は、爵位やその地位によって様々な種類がある。 そのなかの一つの結び方が自分のてではどうしても気に入らないルーイは、以前カミユのタイの一度形を整えていたナオジに聞いてきた。 ルードヴィッヒができるか?と聞くとき、彼はできるものだと思って聞く。 実際、ナオジはその結び方ができた。 タイの結び方は一度手が覚えてしまえばナオジには楽なものだった。 それなのに、結んでいる最中に、自分は結ぶのをやめ、ぼんやりと絹のタイをぼんやりと見つめていたらしかった。 「すみません、遅れてしまいますね」 自分の手は、なんの途惑いもなしに、続きの動作をしだす。 「おくれるのは、どうにでもなるが……。なにか、あったのか?」 あのとき、自分のタイを、クーヘンの結び方に母はしようとしていた。 いまならわかる。 伯爵家の跡継ぎとしての結び方を。 「いえ、私の母が一番最初にクーヘンのタイの結び方をしてくれた時のことを思い出しただけですよ」 そして、できなかった。 けれど、母は泣かずにナオジをきつく抱きしめた。 幼い頃の遠い思い出の一つだ。 「母は、自分の中のクーヘンの血を誇りに思っていたようでした」 誇りにおもわなければ、謗りや論いのなかで胸をはって生きていけなかったのだ、逆に。 「私が公式のものに出る時は、こんな風に、クーヘンのタイの結び方をしてくれました」 結び終わったルーイのタイの形を整える。 ほとんど、形をととのえるようなことをしなくてもよかった。 「おわりましたよ、ルーイ」 視線をあげると、ルードヴィッヒがナオジを凝視めていた。 「どうしたのですか?」 見上げると、ルーイの瞳が綻んだ。 「聞いているのは、私だぞ、ナオジ」 ルードヴィッヒのまだ手袋をつけていない指が、ナオジの左の頬に触れた。 「そうでしたね、ルーイ」 彼の手を優しく温かいと、ナオジが気付いたのは、最近のことだ。 彼が優しく、思いやりのある人間だということには、ずっと前から気付いてはいたけど。 「別になにも、───特になにもないのです」 ルーイの右手をナオジはそっと包み返した。自分の両の手で。 自分の両の手はいつも冷たくて、彼の体温を吸い取ってしまうかもしれない、そう思ったけれど。 「ナオジの手はいつも気持ちいい」 「貴方はいつも熱いから───」 どんなにナオジの手が冷たくても、ルードヴィッヒはきっとナオジの温度を気持ちいいと云ってくれるに違いなかった。 「日本が恋しくなったか?」 柔らかい言葉をナオジのために紡いでくれるのも、ルーイだった。 「いいえ、そんな」 恋しくないわけないけれど、深々となにも気にせずに呼吸できるこの場所も捨てがたい。 いつの間にかナオジはそう思ってもいた。 やはり辛かったのかもしれないと、今になってナオジは思っていた。 「憂うことはない」 ルーイはそれから先に続く言葉を紡がない。 「えぇ……」 わかっています、とナオジは頷いた。 未だ、手は離せなかった。 「では、いってくる」 最後の仕上げに手袋を着ける。 ルードヴィッヒのいつもの行動だった。 「はい、お気を付けて」 部屋を出る前、ここまで云うのがナオジのいつもの行動だった。 「ナオジ」 今日は、ルーイが一言、云い置いていく。 「今日の夜は祁門紅茶が飲みたい」 祁門紅茶はルーイがもっとも好む紅茶の一つだった。 いい茶葉を、彼はローゼンシュトルツにも持ってきてはいたが、そんなに飲む機会はなかった。 「ではミルクを準備しましょう」 ナオジがいうと、ルーイは満足そうに微笑った。 「頼む」 そう云い置いて、ルーイは部屋から出ていった。 ナオジは『いってらっしゃい』も、『お待ちしてます』も出ていくルーイにいったことはなかった。 ルードヴィッヒもナオジに友情以上の言葉を与えることはなかった。 こんなところで終わっていいのかなぁ。 これでほんとにこの二人はまだなにもしてないって 誰も信じないよなぁ。 私もすこし信じられん…… でも、ナオジがいうの、まだなにもしてないって…… ←黙れ、この女…… |
連続拍手は 5回まで可能です。字数制限は有りません。たしか…… |
| なにかあれば、お書きくださいませ……。 レスはひねもす2でやることになると思います。 それがちょっとと云う方は、×かなにか書いて下さいね。 お名前、メアド、URLも無くてもOKです。メルフォ兼用なのでつけただけですから(笑) |